DCから見えるAI時代の制度設計
第1回では、生成AIが確定拠出年金(DC)の加入者に対して個別的な投資助言を提供できる可能性について考えた。続く第2回では、そうしたAIによる助言が規制の対象となるのかについて、米国の現状を中心に見てきた。
今回は少し視点を変えて、生成AIの登場によって、これまでの規制の枠組みそのものにどのような問題が生じるのかを考えてみたい。
生成AIの登場は、単に「便利なサービスが増えた」という話では収まらない。これまで制度の内側にいた事業者が厳しい制約を受ける一方、制度の外側から現れた新しい技術の方が、利用者の求めるものを直接提供してしまう、という状況を作り始めている。
制度の中にいるほど、動きにくい
DCの運営管理機関は、制度や運用商品ラインアップ、加入者の運用状況などを知る立場にあり、制度運営の中心的な担い手である。
本来であれば、加入者が「どの商品を選べばいいのか」「リタイア時期が近づいたらリスクを下げるべきか」と悩んだとき、最も自然に相談相手になり得る存在である。
しかし、現行制度では、運営管理機関が加入者に個別の商品を推奨することは認められていない(※)。制度の中にいる事業者は、長年かけて作られてきたルールの中で行動しなければならない。ところが、制度の外側にいる一般向け生成AIには、運営管理機関に課されているのと同じ制約が直接及ぶわけではない。こうしたねじれが存在するわけである。
※ただし、2026年7月21日に公表された「成長投資を促進するための金融戦略―資産運用立国のアップグレード―」では、運営管理機関がDC加入者に対して個別商品の推奨・助言を提供できるようにする方向で検討するとしている。
何も知らないAIの方が、個別の答えを返せる
さらに興味深いのは、生成AIが最初から加入者の情報を持っている必要がないことである。AIは、利用者の年齢も、DC残高も、預貯金も、住宅ローン残高も、公的年金の受給見込み額も知らない。
しかし、利用者自身が、
「現在52歳で、65歳まで働く予定」
「DC残高は1,000万円、預貯金500万円、NISA300万円」
「住宅ローン残高は3,000万円」
といった情報を入力すれば、状況は一変する。
さらに、「退職金で住宅ローンを完済する予定」「NISAでは米国株式を多く保有している」「65歳以降も週3日働く予定」といった情報を追加すれば、それを踏まえて回答を修正することもできる。
多くの情報を持つ制度内部の事業者ほど具体的な助言を出しにくい一方、もともとは利用者について何も知らなかった制度外のAIが、本人から情報を得ることによってパーソナライズした答えを返せてしまう。
しかもAIは、DCだけを見るのではなく、NISA、預貯金、住宅ローン、退職金、公的年金、今後の就労予定まで、利用者が入力する限り、それを材料にして横断的に考えることができる。
これが、生成AIの登場によって顕在化した逆転現象である。
ところで、広く見渡せば、似たような変化は私たちの身近なところでこれまでも起きてきた。
見たいのは「テレビ」ではなく「映像」
かつて、映像を見るという行為の中心にはテレビがあった。テレビ局が番組を制作し、決められた時間に放送し、それを視聴者が見るという仕組みである。
しかし、YouTubeをはじめとする動画配信サービスが普及すると、利用者は好きな映像を好きな時間に見るようになった。映像の制作者もテレビ局に限られなくなった。
考えてみれば、利用者が本当に求めていたのは「テレビ放送を見ること」そのものではない。面白い映像を見たい、知りたいことを知りたい、暇な時間を楽しみたい、という目的が先にあったはずである。
テクノロジーの進歩によって、その目的が別の方法で達成できるようになり、「テレビ局が番組を放送し、視聴者が見る」という従来の仕組みが絶対的なものではなくなったのである。
支払いたいのであって、銀行を使いたいわけではない
金融でも似たことが起きている。スマートフォン決済である。
以前であれば、振り込みや送金など、お金を動かす際には銀行の窓口やATMを利用する必要があった。
現在では、スマートフォンのアプリを使って店頭で支払いを済ませたり、個人間で送金したりすることができる。もちろん、その裏側では銀行口座やクレジットカード、決済ネットワークなど既存の金融インフラが使われていることも多いが、利用者から見える「入口」は変わった。
利用者が求めていたのは、銀行を利用すること自体ではなく、「簡単に支払いたい」「すぐにお金を送りたい」ということである。
FinTechの発展は、金融機関が一体として提供してきた機能を切り出し、それぞれをより便利な形で利用者に提供されるようにしてきた。
電話ではなく、LINEを使うようになった
人との連絡も同様だ。かつて離れた相手と連絡を取る中心的な手段は固定電話であり、その後は携帯電話や電子メールが普及した。現在ではLINEなどのメッセージングサービスで日常的な連絡を取る人も多い。
もちろん、その通信自体は携帯電話会社などが提供する通信網の上で行われている。しかし、利用者が直接意識するサービスは「電話会社」から「LINE」へと移った。
利用者の目的は、電話会社のサービスを使うことではない。「相手と連絡を取りたい」である。
人は「業界」を選んでいるのではない
こうした事例に共通するのは、利用者が特定の業界や事業者を利用すること自体を目的としているわけではない、ということだ。映像を見たい、支払いたい、誰かと連絡を取りたい、といった目的を最も便利に実現できる手段を選んでいるにすぎない。
テクノロジーの進歩は、既存の業界を内側から改善するだけではなく、ときには、利用者が求めるものを別の方法で直接提供することで、既存の業界や制度とは別ルートから、そのニーズに応えることを可能にする。これが今、DCでも起きようとしている。
加入者が求めているのは、自分の年齢や資産状況、将来の生活設計などを踏まえて、「自分はどう運用すればよいのか」を考えるための具体的な支援である。もちろん、それが制度の中で十分に得られるようになればいいが、制度の外にあるAIからも同様の支援を得られるのであれば、加入者の選択肢は自然に広がっていく。
ただし、生成AIには、これまでのデジタルサービスとは異なる特徴がある。利用者自身が情報を与え、問いを重ねることによって、汎用的なサービスがその場で個別化されていくことである。もともと投資助言のために作られたサービスでなくても、使われ方によって個別的な投資助言に近い役割を果たしうる。
「誰を規制するか」だけでよいのか
ここまで考えてくると、AI時代の制度設計を、従来と同じ「誰を規制するか」という発想だけで考えることは難しくなっている。
これまでの金融規制では、まず規制の対象となる事業者を特定し、その事業者に一定の義務を課すという枠組みが大きな役割を果たしてきた。銀行には銀行の、証券会社には証券会社のルールがある。サービスを提供する主体が比較的明確だったからこそ、こうした仕組みが機能してきた。
ところが、汎用生成AIのように、提供者があらかじめ投資助言というサービスを設計していなくても、利用者との対話によって実質的にそれに近い機能が生まれると、「この業種の、この事業者を規制する」という発想だけでは実態を捉えにくくなる。
誰が提供しているかだけでなく、どのような情報を使い、どこまで回答を個別化しているのか。そのサービスによって誰がどのような経済的利益を得ているのか。誤った助言で損害が生じた場合、誰が責任を負うのか。こうした「実際に何が行われているか」に目を向ける必要が出てくる。
AI時代の利用者保護をどう考えるか
また、利用者自身も、
・AIの回答をどこまで信頼するのか
・回答の前提が妥当かどうかをどう見極めるのか
・どこまでAIに任せ、どこから専門家に相談するのか
・資産や収入などの情報をどこまで入力してよいのか
といった判断を求められる。
だとすれば、AI時代の利用者保護には、事業者にどのような義務を課すかという視点に加えて、利用者が新しい技術を適切に使える環境をどう整えるかという視点も必要になりそうだ。
DCから見えてくる問い
DCで起きていることは、確定拠出年金という一つの制度だけの問題ではないだろう。
ここで問われているのは、制度の内側にいる事業者だけを規制することで、利用者保護を十分に実現できるのかということである。制度の外から同じような機能を提供する技術が現れたとき、規制の対象を「誰か」だけでなく、「何が行われているか」という視点から考え直す必要があるのかもしれない。
運営管理機関による投資助言の解禁がこれから議論されるDCは、AI時代の制度設計をめぐるこうした問いが凝縮されている。

コメント